阪神・淡路大震災で震度7を経験していたので、3月11日、東日本大震災で震度6強の地震に遭ったときにも「自分は落ち着いてる」と思い込んでいました。が、後から思い返してみれば全然落ち着いてなかったという東日本大震災当日の反省日記です。お恥ずかしい。
2011年3月11日(金) 発震
本震 14時46分 Mw9.0 最大震度7
3月11日(金曜日)、東日本大震災当日。
前震の日と同様、この日も職場で仕事中でした。
昼食後、一仕事終え、ちょっと気が抜けていたところに、大きな揺れがやってきました。あきらかに前々日の揺れよりも大きく異質だったので、「ついに宮城県沖地震が来た」と思いました。かなり揺れていましたが、まだ歩けるくらいでした。職場の同僚が「(建物が古いので)閉じ込められるかもしれない。外に出よう」というので、部屋にいた数人がドアに向かいました。ドアを開けると、割れた窓ガラスが上から降ってきました。「危ない!部屋に戻って!」と言われ、仕事机がある部屋ではなく、物が少ない隣の会議室に逃げ込みました。会議室に入ると、さらに大きく揺れ始め、書類棚の書類や本が落ち、立っているのが難しくなってきました。そこで、大きなミーティングテーブルの下に入り、床にうずくまりました。
変な話なのですが、このとき「いつになったら揺れるんだろう」と思っていました。
同僚が言うのでドアに向かったり、会議室に移ったりしましたが、当初は「あれ?なかなか大きく揺れ始めないな……」と妙に落ち着いていて、会議室に移動した後も「いやいや、ここからさらに激しく大きな揺れが来るはずだ!」と、うずくまりながら拳を握って身構えていたんです。これで終わるはずがないと。
しかし、揺れは大きく長かったものの、思っていたほどには激しくならず、少しずつ小さくなっていきました。
ものすごく怖かったですし、心臓もばっくばくでしたが、「思っていたほど地震がひどくなかった」「この程度で地震がおさまってよかった」と大きな勘違いをして安心していました。
いまなら分かるのですが、当時は「地震にもいろんなタイプがあり、被害にも違いがある」ということを理解していませんでした。
海溝型地震と直下型地震の違い「揺れの質」を理解していなかった
東日本大震災は海溝型地震によるもので、揺れが長く、大きな津波被害をもたらしました。阪神・淡路大震災は直下型地震で、揺れが短いけれど激しく、多くの家屋を倒壊させました。
個人的なイメージで図解するとこんな感じです。
擬音だと海溝型地震は「ゆーらゆーら」「グーラグーラ」「グラグラグラグラグラ」。直下型地震は「ドドドン!」「ドドドドドドドドド、ドドドン!!」。同じ大きさのベクトルだけど、海溝型地震は動きが平行か直角で揺れが長い、直下型地震はしっちゃかめっちゃかだけど揺れが短いというイメージです。
阪神・淡路大震災では建物そのものが軋んで歪み、家が潰れるかもしれないという切迫した恐怖がありましたが、東日本大震災では部屋の中はめちゃくちゃになったものの、建物が倒壊するかもという恐怖はありませんでした。
実際、東北出身の同僚も「閉じ込められる」とは言いましたが「(建物が崩れて)潰される」とは言いませんでした。
阪神・淡路大震災では震度7、東日本大震災ではわたしや夫のいたところは震度6強。この後、夫に発震時のことを聞いたのですがやはり「思ったより揺れなかった」と話していました。神戸から転勤で仙台市に転居していた別のご夫婦にも話を聞きましたが同じ感想でした。震度に違いはありますが、それ以上に根本的に「揺れの質」が違うのだと感じました。
しかしこのときは「揺れの質」について理解していません。また、それほど激しく揺れなかったとしても、地震動が長い場合は、津波が巨大になるのだということも知りませんでした。
なので、「それほど激しく揺れなかったし、周囲の建物も倒壊してない。これなら一週間くらいでライフラインも復旧するんじゃないかな」と、的外れな見当をつけて安心していました。
この見当が大外れであったことは、皆さんご存じのとおりです。
実際に地震を経験していても、むしろ経験しているからこそ、見当を誤ってしまう。過去の経験に学ぶことの難しさをひしひしと実感しました。
とはいえ、膨大な災害史を個人で学ぶのは現実的ではないので、まずは最低限ハザードマップを見て自分が住む地域の災害リスクについて知っておきましょう。「揺れの質」や被害の種類によって対策も異なるので、災害対策や防災備蓄の目安になりますよ。
- 建物倒壊の危険がないならば、机の下などでじっと身を守る
- 閉じ込められそうなら、とりあえずドアだけ開けておく
- 慌てて外に飛び出すと割れたガラスが降ってくる
- 地震のタイプや被害について知る(ハザードマップなど)
- とはいえ過去の経験に学ぶことは難しい
まずは家族に連絡する!複数の連絡手段を持とう
なにせ、自分が遭遇した地震は「宮城県沖地震」で「それほど激しく揺れなかった」「家も倒壊していない」「ライフラインも近々復旧するだろう」と思い込んでいるわけです。
自分が被災地にいるので状況は理解できているし、情報収集するまでもない。ましてや遠く離れた神戸の実家の安否を確認する必要なんてさらさらない、だろうと。
一応、実家に無事を伝えるために電話をしたのですがつながらず。その後携帯電話の基地局が落ちてしまったので、携帯電話自体つながらなくなり。公衆電話もつながらなくなってしまったため、「こりゃどうにもならん」と早々に諦めて翌日までほったらかしてしまいました。
もう!全然!まったく!かけらも!状況を理解できてない!!!
目の前にあるものだけで物事を判断する悪い例です。
さらに、夫とは一度連絡がついており、夫の職場はわたしの職場から見えるぐらい近くにあって、無事なことが分かっていたのもよくありませんでした。
職場の建物の外に出てみると、窓ガラスが割れ、建物の一部が崩落しそうになっていました。古い建物だったので、ある意味、この程度ですんでよかったと思いました。しかし余震で崩れてくるかもしれません。その場にいる人たちで職員や付近の人の避難誘導をすることになりました。そんなてんやわんやの状況でしたし、夫は無事だからまあいいやと、携帯(まだガラケーだった)を頻繁に見ることがなかったんです。
そのころ、神戸の実家や友人たちの間では「とんでもない大地震が東北で起きた」「津波が仙台市を襲っている」「フクと夫はその近くにいるらしい」と大騒ぎになっていたそうです。Googleマップで見るとうちの自宅と仙台湾までがものすごく近く見える(実際は15キロ以上離れてます)。神戸の人からすれば土地勘もなく、テレビで「仙台が津波に飲まれている」という報道を見れば、心配になりもするでしょう。
わたしの家族や親戚、友人たちに猛烈に心配をかけているとも知らず、避難誘導をしていたことをいまはとても反省しています。ちなみに、夫がたまたま義姉と連絡がついていたので、そこから義実家→うちの実家へと無事が連絡されたそうです。申し訳ない。
対策としては複数の連絡手段を持つことだと思います。
電話がつながらなくても、LINEやSNSならつながるかもしれません。現在はスマホになりましたので、実家とはLINEで連絡できるようにしました。
夫とは普段からWhatsAppというアプリで連絡を取っています。主にヨーロッパで使われていたメッセンジャーアプリです。いまはMeta(旧Facebook)傘下になりましたね。災害時、LINEは混雑するかもしれませんが、WhatsAppなら日本でのユーザーが少ないので、それほど混みあわずに使えるかな?と思っています。日本語にも対応していますし、シンプルでいいアプリですよ。WhatsAppでは夫としかやり取りをしないので変なメッセージを誤爆することもありません。LINEも災害時にはステータスを「無事です」に変更することで無事が確認できます。
それでもつながらない場合は災害伝言ダイヤル(171)で自分の番号か実家に電話して「無事です」というメッセージを残すことにしており、そのことを実家にも伝えています。災害伝言ダイヤルは災害発生時のみ利用可能ですが、毎月1日、15日は体験利用ができるので一度試しておきましょう。契約している携帯会社によって少しずつ使い方が違うので要注意!!
こちらの記事が詳しいです。
- まずはニュースを見る、または聞いて正しい現状把握(思い込み厳禁!)
- 電話がつながらない場合に備えて、LINEやWhatsApp、SNS、災害伝言ダイヤル(171)など、複数の連絡手段を持つ
- 災害伝言ダイヤルは毎月1日、15日に体験利用ができるので一度試しておく
- とにかく家族への連絡は大事(超重要!)
発震後、歩いて帰宅 職場にも備えが必要!
やがて日が暮れ、人並みも落ち着いたころ、夫が職場まで迎えに来ました。
付近の避難所は、電車が動かないなど理由があって自宅に帰れない人たちがサポートすることになったので、わたしは家に帰ることにしました。
避難所に残らないと決めたのは、自宅が在宅避難できるだけの準備をしていたからということもありますが、もう一つ、阪神・淡路大震災のときには避難所がいっぱいで入れなかったという経験が大きいと思います。詳しくはこちらで。東京や大阪など都市部はおそらく避難所に入れないパターンが多くなると思いますよ。
事実、わたしの職場の近くの避難所は、近くに住んでいる人以外にも帰宅が困難になった人が多くいたため、生活用水や食料、毛布などが足りなかったそうです。夫とわたしの分を消費せずにすんでよかった。
夫は当時車通勤でした。しかし、阪神・淡路大震災では発災直後に車が大渋滞。乗り捨てられた燃料切れの車が国道を通せんぼして、救急車両が通れないなどいろいろ問題があったので、歩いて帰宅することを決めました。この判断はとてもよかった。
帰り道。
停電した仙台の空は暗く、星がとても綺麗に映えて、キラキラしていました。
自宅がある内陸に向かって歩いていたので気づかなかったのですが、振り向いて海を見れば、仙台市中心部を流れる広瀬川の水位が上がり、仙台湾付近の火災も見えたのだと後日聞きました。
停電すれば信号も止まるので、みんなおっかなびっくりノロノロと運転していて、やはり車は渋滞しているようでした。
自宅に着いたのは1時間半後。
通勤のショルダーバッグ、革靴で上り坂を歩くのはなかなか辛く、職場に運動靴とリュックを置いておけばよかった……!!と思いました。
- 職場で被災することも想定しておく
- 歩いて帰れる距離なら車に乗らず歩いて帰る
- 職場にリュックや運動靴を置いておく
- 飲み水や食料、ラジオがあればなお可
- とはいえ、都市部では無理に帰ろうとしない方がいいかも
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