大災害でライフラインが停止したら避難所に行けばいいんじゃない?
そう思う方もいますよね。しかし、実は、避難所って希望者全員が入れるわけじゃないんですよ。ご存じでした?
東京都の被害想定と避難所の収容人数
たとえば東京都を例に見てみましょう。
これによると避難所の収容人数は約320万人。東京都の人口は約1400万人ですから、収容率はざっくり25パーセント。4人に1人が入れる計算です。

首都直下型地震の被害想定によると、避難所生活者は発災初日で約460万人、4日後で約390万人となっています(リンク先の資料2「首都直下地震の被害想定と避難者・帰宅困難者対策の概要について」参考)。うむ、この時点ですでに定員オーバー。
トータルの避難者は約700万人を想定。差し引き300万人くらいは避難所外で生活すると想定されています。帰宅困難者の想定は約650万人なので、どーーーーーう考えても避難者・帰宅困難者が溢れてますよね……。
しかも政府の被害想定は甘い。というかズレてるのはもはや定説ですから、おそらくこれ以上の人が避難所外で過ごすことになるでしょう。
阪神・淡路大震災で避難所に入れず
実際、わたしは避難所に入ることができませんでした。
阪神・淡路大震災のとき、うちは半壊で、アパートは立ってはいましたが、外壁にはヒビが入り、ベランダは落ちかけでした。近所に住む祖母の家は全壊。屋根が落ちてぺしゃんこでしたが、平屋だったのが幸いし、祖母は近所の人に助け出されていました。
当時、神戸で大地震が起こるなんて想像もしていませんでした。災害の備えも台風に備えた懐中電灯、乾パンぐらいしかありません。ライフラインは当然止まっているし、周りの家屋も道路もボロボロ。ガスの匂いが漂い、南の方では火の手が上がっているのも見えました。
なにをどうしたらいいかもわからなかったので、とにかく、母と避難所に指定されている小学校へ様子を見に行くことにしました。祖母は怪我はありませんでしたが疲れていたので、とりあえず半壊の我が家で休んでいました。父と弟は周囲の倒壊した家屋から人を助ける手伝いをしていました。
小学校付近はすでにかなりの人が集まっていました。校庭にもたくさんの人がいます。特に人が集まっている体育館に向かうと、大声で怒鳴る人たちがいてひどい喧騒でした。体育館の中では膝を抱えて座っている人たちがひしめき合い、人と人の隙間の床を踏んで歩かないといけないような有様でした。
「もう体育館には入られへんから!家が立ってる人は帰って!」
何人もの人がそう怒鳴っていました。たしかに、とてもこれ以上は人が入れそうにありませんでした。中で座っている人たちも動く様子はありません。大声を出しているうちの1人に、祖母の家は全壊、うちもボロボロでライフラインも停止していると伝えてみたのですが、「でも家は立ってるんやろ?それやったら帰って!帰って!」と言われ、その後、ほったらかしになりました。
いま思えば、怒鳴っていた人たちも被災者で、誰もなにも状況が分かってなかったんだろうと思います。しばらく様子を見ていましたが、状況は悪化こそすれ、好転するようには見えませんでした。とにかくこれ以上ここにいてもどうにもならないんだろうと諦めて家に帰りました。
夜になり、遠方に住む伯母夫婦が車で来てくれたので、祖母・母・わたしは伯母の家に一時避難。父と弟は車に乗れなかったので家に残ったのですが、ひどい余震が続く中、半壊の家が倒壊するのではないかと恐ろしく、とても家にいられず屋外にいたと言っていました。ちなみに車は隣の家の塀が倒れてきたので潰れていました。この後もなんだかんだ避難生活が続くのですが、長くなるのでまたの機会に。
うちの近所は電気復旧まで1週間、水道は1か月、ガスは3か月かかり、ライフラインが停止すると生きていくだけでも大変なんだなと学びました。
東日本大震災で在宅避難せざるを得なかった人々
その後、夫と結婚して家を出て、あちこち転勤後、仙台に転勤になりました。そして2011年、東日本大震災に遭うわけです。人生いろいろあるものですね。
夫もわたしも阪神・淡路大震災で震度7の地震に遭い、在宅避難を経験していたので、ある程度の備えがありました。なので、東日本大震災のときは迷いなく在宅避難を決断できました。防災備蓄があるとないとで決断は大きく変わったと思います。本当に備えておいてよかったです。
まあ、でもうちなんて家も一部損壊、津波に遭ったわけでもなく、ライフラインが停止したぐらいなので、たいしたことはありません。
のちに聞いた話ですが、津波被害がひどかった地域で、やはり避難所に人が入りきれず「家が立っている人は自宅にいてください」と言われた人もいたんだそうです。
ライフラインが停止してるぐらいならいいのですが、中には、津波で1階部分が流されてしまったのに「家は立っているから」と言って自宅に戻り、かろうじて残った2階部分で生活した人もいたんだそうです。余震も続いていたし、いつまた津波が来るかと怖かったでしょうに。「家が立っている」というのも難しい表現だなと思いました。コミュニケーション難しい。
「在宅避難」をせざるを得ない実情
先日、総務省から「災害時の「住まい確保」等に関する行政評価・監視-被災者の生活再建支援の視点から-<結果に基づく勧告>」という報告書が出され、避難所外避難者についても言及されました(リンク先「第2 行政評価・監視結果」の「2 避難所開設期における避難所外避難者の把握・支援等」に詳細)。

これによると東日本大震災時、避難所外で生活する人が避難所で生活する人の倍以上いる自治体もあったとのこと。しかし、震災直後については混乱も大きく、きちんと調査がされていないため、避難所外避難者の数ははっきりわからないのだとか。
避難所に入れなかった理由も、配慮が必要な家族がいるという理由も挙げられていますが、やはり単純に、避難所のキャパが足りず入れなかった人が多いようです。でしょうね~。
「避難所外」で避難とは具体的にどういうことかというと、自宅で在宅避難とか、被災していない親戚宅に避難とか、被災していない地域のホテルや仮住まいに避難するとか、簡単に言えば「どこでもいいけど、自分でどうにかして」ということです。
報告書には「避難所外避難者が多かった」「避難所外避難者に支援が足りなかった」「今後支援を検討しなければ」というようなことが書いてあります。しかし「避難所自体を増やしてキャパを増やそう」とはどこにも書かれておらず、基本的には政府が推奨する「自分でどうにかして」というスタンスがよく読み取れました。
特にこの傾向は都市部で顕著。都市部は鉄筋コンクリートのしっかりした造りのマンションも多く、地盤さえしっかりしていれば、倒壊することも津波にさらわれることもまずありません。つまり「家が立っている」ので、避難所に入ることができる優先順位がめちゃくちゃ下がるのです。都市部の避難所の収容率が低く設定されているのは、元々、マンションに住む人たちは在宅避難することと想定されているからだと言っていいでしょう。
しかし、総務省が作成した報告書自体は素晴らしい調査だと思いました。避難所外避難者はサイレントマジョリティー。マスコミに取り上げられることもなく、行政からの調査もなく、どんな生活をし、どんなことに困ったのか、詳しく語られることは多くなかったからです。ぜひ避難所外避難者支援の具体策をご検討いただきたい。
反省日記が「在宅避難」をイメージする助けになれば
わたしは二度大震災に遭っていますし、いまは南海トラフ地震で震度6強が想定されるところに住んでいます。そして実は大阪北部地震で震度4の地震にも遭っています。よくよく地震に遭うなと。
これだけ地震に遭っていますし、おそらくまた地震に遭うだろうと思っていますので、周囲の人にも「在宅避難のためにちゃんと備えた方がいい」と言うのですが、実際に防災用品を買い足す人は多くなく……。
どうも、大地震に遭うといっても現実味がなく、大地震後の生活なんてもっとイメージしにくい。なので「備える」と言ってもなにを備えればいいのか分からない、ということのようです。なるほど。
たしかに、うちの母など娘が二度も大地震に遭っているというのに、「阪神の地震も2000年に一度やったみたいやし、もう神戸は地震に遭わんやろ?」と言っています。母ちゃん、うちの実家は南海トラフ地震で震度6強の想定なんやで。
日本に住んでいるかぎり、残念ながら、地震や自然災害は避けて通れません。
地震を抑えることも、台風をそらすことも、避難所を増やすこともわたしにはできませんが、自分の経験を詳細に書くことで大地震後の生活をイメージする手助けぐらいはできるかもしれません。
特に、阪神・淡路大震災で遭った直下型地震と、東日本大震災で遭った海溝型地震はかなり性質が異なり、備えていたつもりでも「失敗した!」と思うことが多々ありました。それをまとめたものがこのサイトの「反省日記」です。
ひとたび大地震が起これば、多くの人がせざるを得ない「在宅避難」。
このサイトが少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。
【追記:2022/03/08】
「避難場所」「避難所」の入りやすさについても計算してみました。ん?「避難場所」?「避難所」?と思った方。違いについても書いてますのでぜひご覧ください!ご参考になれば嬉しいですm(_ _)m


コメント