4月 他県からの支援とガス復旧、少しずつ日常へ(東日本大震災1か月ごろ)

4月に入り、物資だけでなく人の往来も増え始めました。ガス開栓のために他県から来てくれたガス会社さん。ありがたかった!また、思いがけず神戸で働いていたときの上司や同僚とも会うことができました。少しずつ日常へ戻りつつある、最後の反省日記です。

予想よりめちゃくちゃ早くガス復旧!

本震後からずっとガスは止まっていました。
うちの近所は家屋も道路も壊れてなかったのですが、沿岸部にあるガスを供給する配管が津波の被害にあったので、仙台市内ほとんど全域で都市ガスが止まったようでした。じゃあ、仕方ない。

プロパンガスのおうちだと、地震直後もガスが止まらなかったところもあったそうです。なるほど、そんなメリットが。一度、プロパンガスの家に住んだことがありますが、そんなメリットは思い浮かばなかったなぁ。むしろ、毎月のガス代が高いとしか思ってなかった……。

阪神・淡路大震災のときにはガス復旧まで3か月ぐらいかかったので、まあ、そのうち戻るだろうし、焦っても仕方ないと思っていました。お風呂はそれなりに対応できていたし(3月18日~22日参照)、電気鍋や電子レンジ、オーブントースター、IH一口コンロと、電気を駆使して料理をしていたので(3月14日・15日参照)、それほど困っていませんでした。

と思いきや。4月に入ってすぐ復旧し始めた地域が出てきたんです。

あれ?もうガス復旧するの!?

すごい!なんて仕事が早いんだ、仙台市ガス局の人よ。
そっかぁ、もうすぐ復旧か~!とガス局のホームページを見ては、自分が住む地域の復旧予定日が掲載されるのを、いまかいまかと待つようになりました。

ガスは災害で長期停止すると、再度使用開始するときにはガスの係員さんに立ち会ってもらわないと開栓ができません。この係員さんが来る予定日がホームページに掲載されるのです。みんな係員さんの立ち合いに備えるため休みを取るので、課内では誰の家のガスが復旧したのかバレバレでした。

とはいえ、休みやすい職場でよかったです。もし日程が合わず、不在にしていた場合は不在票が入れられるそうですが、再訪問日はいつになるか分からないとのこと。できれば一発で日程を合わせたい!

そうこうするうちに、同僚のおうちは着々とガスが復旧していきます。一人、また一人とガスが復旧していき、課内で残ったのはうちだけになりました。おおおおお!なんか……焦るなぁ……!

なんでしょうね、この「焦っても仕方ない」とか言ってたくせに、いざ復旧が間近になってくるとそわそわ落ち着かない気持ち。同じ課の同僚や他の課の人も「お風呂入りに来てもいいよ」と言ってくれるのですが、お風呂に困ってるというよりは、日常を取り戻すあと1ピースが待ち遠しいという感じでした。しかしみんな親切でありがたい。

そうしてそわそわ日々を送っていたらば、まさかの4月7日夜に大きな余震が起こったわけです。マジかっ!!!

翌日の作業予定は順延すると発表になり、うわぁ、それじゃうちはまだまだ先になるのかなぁ……とホームページを見てみたら、意外とあっさり作業予定のリストに自宅の地域が入りました。ガッカリしてからの喜びでテンションの乱高下が激しい!!!

しかしともかくもガス復旧は嬉しい

職場で報告すると、みんな事情を知っていたので、めちゃくちゃ快く休ませてくれました。

作業予定日。
自宅でウキウキ待っていると、ガスの係員さんがやってきました。復旧作業の合間にいくつか質問されるのですが、イントネーションが西の人だったので聞いてみたら三重から応援で来られたとのこと。遠くから来てくれてありがたい。

さて確認が終わり、無事ガスも開栓!さっそく湯船にためていた水を沸かしてお風呂に入りました。なんだかんだ1か月近くぶりに自宅で入るお風呂は、のびのびできて最高でした。さっぱりさっぱり!

ガスに関しては、カセットコンロやIH調理器など代替品を備えていたので、復旧までの間どうにか過ごせました。防災備蓄大事ですね。復旧予定が近くなってからはそわそわしすぎて疲れましたが、ただの一人相撲なので、もうちょっと落ち着きたい。

ガス停止時に代替できるモノを備えておく(カセットコンロ、IH調理器など)
・一人相撲でそわそわしても無駄なので落ち着け

自分なりの日常へ

東日本大震災では、思いがけずいろんな知り合いに仙台で会いました。

復旧のためにいろんな人たちがいろんなところから応援に来てくれるわけですが、大震災の経験があるからなのか、神戸からもたくさんの人が来ていたようです。中にはわたしの元同僚や上司、友人もいました。

基本的には仕事の応援ということでしたが、たぶんじっとしてられなかったというのが本音ではないかと思います。東日本大震災当時、もしわたしも神戸で働いていたら、同じように仙台に応援に行ったと思います。とてもじっとしてられない。

しかし仕事とはいえ、せっかく会いに来てくれたわけです。せめてもてなしたいと思い、昼ごはんがてら牛タン屋さんに案内すると、「え!?牛タン食べられるの!?」とかなり驚いていました。

そうでしょうとも。東日本大震災は津波被害は甚大だったものの、仙台中心部は復旧が早く、お店も開いているところが多かったので、牛タン食べたり居酒屋でお酒飲んだりもできたんです。テレビのイメージで仙台中心部に来るとびっくりしたでしょうね。

地元の知り合いと会うことで、わたしの気分もずいぶん上向きになりました。元気に暮している人と会うと、こちらも元気になれる気がします。

一概に「日常」や「復興」と言っても、人それぞれ。

まだまだ問題は山積していましたが、個人的にはライフラインが戻り、美味しい物を食べ、友人・知人と会って元気になれたことで、少しずつ日常が戻ってきたんだなと思えました。

イメージの土台としての反省日記

この反省日記はあくまでわたしの個人的な体験が元になっています。

しかし、一個人の体験にしかすぎなくても、時系列で細かく書くことで、いままで大地震に遭ったことがない人にも震災時の在宅避難生活をイメージしやすくなるんじゃないかな?と思ってこの日記を書きました。

具体的な在宅避難生活をイメージすることで、自分にとって必要な物が見えてくる気がするんです。

実際、わたしにとって二度目の大震災でしたが、阪神・淡路大震災の経験や地震に関する知識、それに基づいた防災備蓄があったことがずいぶん支えになってくれました。まあ、それでもまだいろいろ失敗してはいるのですが……。

地震や自然災害は、日本に住んでいるかぎり、残念ながら避けては通れません。

大災害が起こった場合に多くの人がせざるを得ない「在宅避難」について、この日記が少しでもお役に立てば嬉しいです。

この日記は経験談なので雑多でしたが、時系列や分類別にした、もうちょっとまとまった形の記事も書いていきますので、防災備蓄の見直しなどにどうぞご利用ください。

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