3月14日・15日 情報の大切さと、いろいろちぐはぐ(東日本大震災4・5日目)

電気と水道が復旧したことでかなり快適に!職場にも顔を出し、ガスがないなりに電気だけで料理をしようとしたのですが……。まだまだ問題山積、いろいろちぐはぐ東日本大震災4日目、5日目の反省日記です。

2011年3月14日(月)

職場も家も日ごろから整理整頓!

電気と水道が復旧したことで格段に生活がよくなりました。
うちは都市ガスだったのでしばらく復旧せずお風呂には入れませんでしたが、電気と水道があればお湯も沸かせるのでそんなに気にはなりませんでした。

日常生活にめどが立ったので、この日は夫とそれぞれの職場に行ってみたのですが、夫の職場は人がそろわず仕事にならないため休みに。わたしの職場はオフィスが立入禁止になり、別の場所に引越し作業中。引越し作業は正社員の人がするとのことでしたが、自デスクの荷物だけ段ボールに詰めてと言われたので、地震後初めてオフィスに入りました。

オフィスは思っていた以上にぐちゃぐちゃでした。
スライド式のキャビネットは開いてる中身飛び出てるデスクの上に散乱してるし、斜めになっててあとちょっとで倒れそうだし。デスクトップパソコンのタワーは足元に置いていたので倒れていませんでしたが、停電時に電力を供給してくれるUPS(無停電電源装置)が移動してしまって、つないでいた線がぶっこ抜けており、意味ないなと思いました。

まあ、そんなものですよ(あきらめ)。

自デスクは日ごろから整理整頓するようにしていたので、すぐに片づけが終わりました。デスクの上になるべく物は置かず、引き出しにしまうようにしてたんです。えらいぞ、わたし!!皆さんも整理整頓しておいた方が地震後の片づけが楽ですよ。

ちなみに夫は、ぐちゃぐちゃに積んでるように見えるけど自分ではどこに何があるのか分かってる派なので、デスクの上の物はほとんど散乱したそうです。( ´_ゝ`)フッ

しかし、ちょうど地震の日にヤクルトを買っていたのを忘れてたんですよね……。

うちはヤクルトさんが定期的に来てくれる職場だったので、毎日1本は飲むようにしてたんです。健康のために。地震当日は10種類くらい入ったセットが販売になったということだったので、いろんな種類を飲むのもいいなと思って買ったのに、すっかり忘れて帰宅してしまったのですべてダメになっていました……。

日頃から食品ロスを出さないように気をつけているし、食料不足の時期だったのでとてもショックでした。ごめんなさい、ヤクルトさん、そしてヤクルトよ……。

地震当日は落ち着いて行動しているつもりでしたが、やっぱり動揺していたんですねぇ。

・職場のデスクも整理整頓しておくと片づけが楽
・地震後帰宅するときに、自デスクと冷蔵庫もチェック

近くの人と話して情報ゲット

自分の職場の用事が終わってから、夫の職場で合流。いままでは電気が来てなかったので買えませんでしたが、冷蔵庫が復活したので野菜やお肉など生モノを街に出て探すことにしました。

ぶらぶらとお米専門店の前を通りかかったら、1時間後ぐらいに数量限定でお米を販売するとの張り紙が!おお!いいね!

お米は少しあるものの残量が不安だったので買い足すことにしました。2キロ1000円ぐらいでいつも買うお米(10キロ4000円ぐらい)より高いのですが、専門店のお米だから美味しいんじゃない!?となんだか楽しみに。すでに少し列ができていたのでわたしが並び、夫はさらに他のお店の様子を見に行くことにしました。

しかしふきっさらしの道路で並んでいるとめちゃくちゃ寒い!!!
カイロをもみもみ足踏みしていると後ろの女性から「寒いですね~」と声をかけられました。品のよい年配の女性です。

ちょうど封を開けてないカイロがあったので一つ差し上げました。最初は恐縮されていましたが、「大丈夫です!カイロは箱買いしてたくさんあるので」と言うとすぐに使ってくださいました。お役に立ててよかった。関西出身で東北の冬がめちゃくちゃ寒く、冬の始めにカイロを箱買いしておいたのが幸いでした。東北の人は寒さに強いから普段使わないのかも。

これを機に少し話をすることに。聞けば、おうちはこの辺でとにかく食料がなくて困っているとのこと。わかります、うちもです。そこで、これまでに食料が買えたお店の情報を交換。「今日は裏通りの八百屋さんで少しだけどお野菜が買えましたよ」と教えていただきました。素晴らしい!まさに知りたかったことです!その後、夫が「あっちの店で鶏肉と卵売り出すんやって!」と嬉々として戻ってきました。でかした!夫よ!

もちろん女性と情報をシェア。すると前の人が振り向き「そのお店はどこですか?」と会話に入ってこられました。わかります、その気持ち。こんないい情報、わたしも絶対くわしく聞くと思う。前の人も交えてさらに情報交換。おかげでこの日は、十分ではないものの、お米、野菜、鶏肉、卵などが手に入りました。

知らない人と話をすることがそれほど苦ではない性格でよかったです。この後もいろんな情報を収集できたので、かなり助かりました。情報大事。

ただ、SNSではさらにいろんな情報があったようなので(やってなかったのでよくわからない)、あのときSNSやっておけばよかったな~と思いました。

いまは災害用のTwitterアカウントをつくり、政府や自治体、災害に役立つ情報アカウントなどをフォローしています。災害時、ひょっとすると、住所を書いた上で救助や物資の支援など求めないといけないかもしれないので、念のためプライベートなアカウントとは分けました。できればそんな大変なことにならないよう祈りたい(-人-)

災害用SNSアカウントを作る
情報大事!

電気調理器は汎用性が高い物を用意

さて、いろいろ食材もそろったので久しぶりに料理をすることにしました。カセットコンロもありますが、カセットボンベが手に入りにくい状況なので温存電気鍋を使うことにしました。

電気鍋も災害用に備えておいたものの一つです。
阪神・淡路大震災のとき、うちの近所は電気が1週間、水道が1か月、ガスが3か月近く復旧しませんでした。電気が復旧するまではカセットコンロが必須ですが、電気復旧後からガスが復旧するまでは、電気調理器があると便利です。実際、ガスボンベの残量を気にせず調理ができてとても安心でした。

しかし、いかんせん電気鍋が大きすぎる……。

4人用ファミリーサイズを買ってしまったので、地震前から2人で鍋をすると具がそよぐと思っていたのですが、ちょっと目玉焼き焼きたいだけというときでも、大きな電気鍋をひっぱり出さねばならず面倒でした。焼肉プレートとかステーキ用波なみプレートとかついていましたが、問題はそこではなく大きさだった……。

後日、一口のIHコンロをもらったのでとても便利になりました。これでお湯もすぐ沸かせるし、目玉焼きも焼けます。ただしIHコンロを使うにはIH対応の鍋ややかんが必要なので要注意。当時、ガスコンロだったので普段使いの鍋やフライパンは使えませんでしたが、古いホーローの鍋とやかんがIHコンロでも使えたのでなんとかなりました。

電子レンジでも調理できますが、少しずつしかできないし、しかも時間がかかる。コンロと併用ではなく電子レンジだけですべて調理するというのはかなり不便なので、あくまで補助的に利用するという感じでした。そういえばオーブントースターで魚を焼いたりもしました。

いまは、電気鍋は古くなって壊れたので廃棄。カセットコンロをほどよい大きさの鍋つきの物に買い替えました。またオール電化の賃貸マンションに引越したので、コンロもIHコンロに。鍋やフライパンもIH対応になったので、どれも上手くフィットするようになりました。ようやくちぐはぐ解消!

ちなみに、ライフラインの中では「電気の復旧が早い」とよく言いますが、東日本大震災当時は「電気と水は止まったけどガスは止まらなかった」というお家もあったそうですよ(プロパンガスのお家に多い)。その場合、電気炊飯器が使えないので、ガスコンロで鍋を使ってご飯を炊くことになります。「お鍋でご飯なんて炊いたことない!」という人は一度練習しておきましょう。結構簡単です。

カセットボンベでご飯が炊ける炊飯器もイワタニから出ていますが、5万ぐらいと高いです。いつ使うかわからないものに5万はな~。おそらく今後も買わない。

わたしは海外に住んでいたとき(夫の転勤で住むはめに)、炊飯器がなかったので鍋でもフライパンでもご飯が炊けますし、なんなら計量カップがなくても炊けます。意外と大ざっぱでも炊けるもんですよ。コツについては別記事で。

とりあえずフライパンでご飯を炊いたときのTwitterを貼っておきます。7つぐらい続いてます。

・電気復旧後、ガス復旧まで用に電気調理器があると便利
・電気鍋など利用方法が限定される物より、汎用性が高い一口IHコンロが便利だった
IH対応の鍋ややかんも忘れない
・ガスが止まらない可能性もあるので、ガスコンロ+鍋で炊飯できるよう練習しておく
電気調理器は人数に合わせた大きさで

2011年3月15日(火)

情報があっても物資が手に入らない

さて、震災5日目。
食料はやや余裕が出てきたものの、トイレットペーパーや生理用ナプキンなどが残り少なくなってきました。うーん、やばい。よりによって震災翌日から予定外に生理になってしまったため、トイレットペーパーも生理用ナプキンもどんどん減っていきます。

そんな中、昨日の情報交換で「青葉通りのダイエーで朝一番に並ぶとトイレットペーパーが買えたらしい」と教えてもらったので、家からは遠いけど行ってみることにしました。

ダイエーすごいんですよ。地震の2日後にはお店を開けて販売を始めたんです。

ダイエーは神戸発のスーパーマーケットで、1995年の阪神・淡路大震災のときにもいち早く販売を再開してくれました。たくさんのお店が損壊し、従業員さんも被災していた中で、本当にすごいことだと思います。あのときもとても助けられたのですが、仙台でもこのスピード感。素晴らしい。(しかし先日、この青葉通りのお店は惜しまれつつも閉店してしまったそうです。残念)

よーし!情報も手に入ったし、じゃあ朝からがんばって並ぶぞ~!

と、はりきって行ってみたら、建物を取り巻くようにずら~~~~~~~っと列が!しかも折り返してるので二重三重になってる!!!

従業員さんが何度も往復して、店内に入れる人数は限られること最後尾でおよそ4時間待ちになることを大きな声で説明していました。

よ、4時間て……!!!

当時、仙台ではまだまだ余震が多かったので、お店に入るにも人数制限があったり、店内でも一部立ち入れない区域があったり、買い物時間も限定されたりしていたんです。お客さんの安全のためだから仕方ない。

いや、しかし4時間か……。そしてたぶん、こういうときはだいたい予想より時間が伸びるものと決まっています。おそらく5~6時間はかかるはず。

無理だな……。

と、並ぶこともなく早々にあきらめました。わたしは持病があって、風邪を引いたら悪化することが多く、1、2時間ならまだしも、このクソ寒い中で4、5時間は無理だ……。

ガソリンに余裕があれば、車でダイエーの前を通れば判断できたと思うのですが、家と街の中心部との往復だけで結構ガソリンがなくなってきていたので、車でうろうろできなかったんです。そう、ガソリンもないんですよね……。

まだもうちょっとトイレットペーパーあるし、生理が終われば消費量も減るし、明後日から出勤で家でトイレにいく回数も減るし、いざとなればティッシュペーパーで拭けばいいし(ティッシュは余裕があった)、たぶんなんとかなる!はず……!

と、自分に言い聞かせ、後ろ髪引かれる思いでダイエーを後にしました。せっかく街の中心部に来たのだからとぶらぶら見て回ったのですが、手に入ったのはパン2つと目薬だけ。

この先どうなるのかなぁ。

夫はそのまま職場へ出勤。せっかく情報をもらってもお目当てのトイレットペーパーは手に入らず。少し不安になりながら、とぼとぼと1時間半かけて自宅まで歩いて帰りました。

・物があるお店の情報が手に入れば、物資も手に入るかもしれない
・とはいえ、並ばなければ手に入らないことが多い
並べないなら備蓄するしかない!

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